皆春荘は、箱根登山鉄道・箱根板橋駅より北西へ徒歩10分に位置する神奈川県小田原市板橋の歴史的建造物です。平成28年(2016年)小田原市の歴史的風致形成建造物に指定されました。
第23代内閣総理大臣を務めた清浦奎吾(1850-1942年)が明治40年に土地を購入し別邸を構え、大正3年(1914年)に明治の元勲・山縣有朋(1838-1922年、第3代・第9代内閣総理大臣)の小田原別邸である「古稀庵」に別庵として編入されました。
山縣の小田原別邸のうち、当時の場所に残る唯一の建物です。庭園は、山縣が自ら作庭を指揮したと伝えられる自然を重視したものとなっています。
土地登記簿によると当初の皆春荘は、清浦奎吾によって明治40年(1907年)12月28日に1,412坪(4,667㎡)の土地が購入され、清浦の別邸として建てられました。南隣には山縣有朋の小田原別邸「古稀庵」があり、大正3年(1914年)10月23日に山縣有朋令夫人「吉田さだ」(吉田貞子)の名義で山縣の古稀庵に編入されています。
この編入により、山縣有朋の小田原別邸は古稀庵、皆春荘、暁亭で構成され営まれましたが、現在も当時の場所に残る建物は、皆春荘のみとなっています。皆春荘の建設年代を直接示す資料は見つかっていませんが、このような記録をもとに、明治40年から大正3年の間に建築されたと考えられています。
当時近隣には実業家で茶人の益田孝(鈍翁)や大倉喜八郎らが別邸を構えており、大正から昭和前期にかけて、さまざまな政財界人や文化人がこの界隈を行き交い、交流していました。歴代総理大臣をはじめ日本の歴史に名を刻んだ数多くの人物が、ここ小田原へ頻繁に往来していたのです。
現在の皆春荘では、清浦別邸時代の主屋と、古稀庵編入後に山縣有朋が自ら作庭を指揮したと伝えられる庭園を見ることができます。
この庭園は、何より自然の造形が重視されているのが特長で、かつては相模湾も遠望できました。時代とともに周辺環境や景色は変わりましたが、庭園内には四季折々の豊かな表情が今も残り、訪れる人の目を楽しませています。